【信仰とは何かT】


ヘブライ人への手紙11章1節に「見えない事実を確認することです」と書いてあります。
また3節には「信仰によって、わたしたちはこの世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」とあります。この世界、目に見える物質の世界は神の言葉によって創造されたことを悟ることが大切です。

創世記を見てもそれは明らかです。またそのことはヨハネによる福音書1章にも書かれているほか、聖書のあらゆるところで、この世界は神の言葉によって創造されたことが記されています。見える世界は見えないものから出来たのです。

宇宙の根源はどこにあるのか?物質はどこから来たのか?植物、動物、人間はどこから来たのか?それは原子からだ、素粒子からだといっても、まだそれも物質です。現代の物理学は宇宙は物質だけではなく、もともと反物質というものがあったと説明しています。これは物理学者の定説になっているようですが、それは宇宙が無から出来たということを示しています。

では無とは何でしょうか。初めにあった物質でも反物質でもないもの、それを物理学では無というのですが、聖書はそれは神の言葉であったと宣言しています。イエス様は「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」(ヨハネ6章63節)と言われましたが、神のことはは物質ではなく、見えないもの、霊的なものです。

初めに霊の世界があったのです。 つまりこの宇宙は神のことばによって造られたという表現が最も論理的に思えます。学問の世界も、この宇宙、つまり見える物質世界が、見えないものから出来たという、聖書が昔から語っている結論に辿り着いたということなのです。








【信仰生活(教会生活)】


1)毎日、聖書を読みましょう
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な御言葉の乳を慕い求めなさい。それによって成長する…ためです」(第一ペテロ2:2)
お祈りと組み合わせて、起床時と就寝前の習慣にすると良いでしょう。これをデボーションと言います。御言葉への謙虚さと忍耐をもって読み進む者を主は祝福され、人生の指針や幸福な生活の知恵を下さいます。

2)毎日、お祈りをしましょう
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい」(エペソ6:18)
お祈りは神さまとの会話とも、たましいの呼吸とも言われています。親とよく話し合い、美味しい空気を胸いっぱい吸える子は幸福です。信仰をもってできるだけ長く祈ってみるようにしましょう。内容には、罪の告白(悔い改め)、感謝、願い、とりなし(他の人の救いや幸福を祈る)、讃美(神さまの偉大さや愛を讃える)などがあります。

3)バプテスマ(洗礼)を受けましょう
「信じてバプテスマを受ける者は、救われます」(マルコ16:16)
これは神さまによって定められた、聖餐と並ぶ2つの礼典のうちの1つで、公にイエスさまを救い主と告白することであり、またキリストのからだ(教会)の一部になったことを証するものです。ただ、罪を悔い改め、主を救い主と告白することで、神さまは私たちの罪を許し、義と認めてくださいます。
神さまのお招きに与りましょう。

4)証(あかし)をしましょう
「わたしを人の前で認める者は皆、わたしも天におられるわたしの父の前でその人を認めます」(マタイ10:32)
あなた自身に対して「私はイエス様に救っていただいた」と言う事から始めて、身近な人に向かって、イエスさまがあなたに下さった恵みの数々を口に出して言いましょう。
どんな小さなことでも感謝をもって証する者に、主は喜んで恵みを下さるのです。

5)献金をしましょう
献金は寄付や賽銭とは違い、神さまへの感謝と献身のあかしです。感謝の心と応答の心を養わない人生は空虚です。ささげ方には基準がありますが、与えられた信仰によってすべきであって、強制されるべきものではありません。献金はすべてが神さまの御用のために使われ、ささげることを通して、天に宝を積むのです。
「わたしがあなた方のために、天の窓を開き、溢れるばかりの祝福をあなた方に注ぐかどうか試してみよ」(マラキ3:10)

6)主日礼拝を守りましょう
教会とは、基本的には信じる者の集まりを指し、信じる時に公同(普遍)教会(全世界の過去・現在・未来の全ての信者で構成されている)の一員とされますが、その信仰の証として、いずれかの地域教会に所属することが主のみこころです。 さて、人の生活のリズムは神さまによって秩序づけられており、一周の計は初めの日、日曜日にあるのです。
この日を愛する霊の家族(すなわちこれが教会)と共に礼拝することにささげるとき、安息が与えられ、新しい力が沸いてきます。
「週の初めの日に、私たちは……集まった」(使徒20:7)

7)聖餐にあずかりましょう
聖餐式は目に見える神さまの御言葉です。聖餐に与ることを通して、神さまの恵みと確かさを味わい知るのです。与るためにはイエスさまの十字架上の贖い(あがない)を信じていることと、その都度自分を吟味、すなわち罪の悔い改めをすることです。
「主イエスは……パンを取り……それを裂き、こう言われました。”これはあなた方のための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。”……杯をも同じようにして言われました。”この杯……を飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい”」(第一コリント11:23−28)

8)各種の集会に参加しましょう
「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた」(使徒2:42)
「ある人々のように、一緒に集まることをやめたりしないで、却って励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」(ヘブル10:25)

一本の矢は折れやすくても、3本なら折れにくいのです。愛する恵みと愛される恵み、祈る恵みと祈られる恵み、両方の体験があなたを成長させます。

9)奉仕をしましょう
「あなた方はキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」(第一コリント12:27)
「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し…」(ローマ12:6−7)

与えられた信仰と賜物に従って奉仕をすることは、キリストのからだ(教会)を建て上げることで、あなたの賜物を使うことは、あなたを成長させて、今まで知らなかった自分を発見したり、今まで出来なかったことをすることが出来るようになります。






【旧約聖書の大まかな流れを頭に入れよう】2


新約聖書は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、旧約聖書と共にキリスト教の正典である。
内容としてはイエス・キリストの教えと生涯を書いた福音書(4巻)、
使徒たちの働きの記録と初代教会の誕生から、ローマにおけるパウロの軟禁生活までを書いた使徒言行録(1巻)、
キリスト教理や生活の指針、異端に対する注意、教会の牧会的な配慮などを教えた手紙(21巻 内パウロの著13巻と言われている。)
キリスト者たちが激しく迫害されていた時期に書かれた、黙示録(1巻)である。
内容はアジアにある7つの教会宛に書かれたメッセージや、終末・キリストの再臨・キリストの完全な世界統治についての幻、預言が記されており、最後には新しい天と新しい地の様子を書き出し、神の啓示が完結したことを記して終わっている。以上合計27巻が新約聖書である。

新約聖書は旧約のメシヤ預言が成就として生まれた救い主イエス・キリストを中心に記している。(聖書の中心はイエス・キリストである。)しかも、旧約時代のように一民族を対象としてではなく、全人類を対象とした救いの成就の宣言と契約のことばを記している。新約聖書は当時広く使われていたギリシャ語で書かれた。(旧約聖書は主にヘブライ語)
神は新約の記者8〜9名を選び、ご自身の啓示と霊感を与え、神の言葉を記させた。
時代背景としては、強大なローマ帝国の支配下にあったこと、キリスト教徒への迫害、ユダヤ戦争、異端による教え、偽教師の危機などがあった。しかし、そのような中で初代教会は組織と正統な神学を整え、信仰告白を作り上げていった。
彼らはそのような中で戦い、神の導きと恵みを頂いて、それぞれの場所と時代において新約27巻を書き残したのである。
このように旧・新約聖書は一貫した神の言葉であり、神の啓示である。






【旧約聖書の大まかな流れを頭に入れよう】


聖書は旧約聖書、新約聖書の2つから成っているが、全体の3分の2は旧約聖書で占められている。旧約聖書は天地の創造から始まり、イスラエル民族の歴史と律法、預言であり、新約聖書はイエス・キリストの生涯とその使徒たちの働きの記録、そして主が再び来られる(再臨)ことに関して記してある黙示録がある。
旧約聖書の主要な主題である古代イスラエルの物語は、前2000年頃に始まる。創世記11章から終章まではイスラエル国家の父祖であり、特別に神の民となるよう召されたアブラハムからヨセフまでの族長物語を伝えている。

出エジプト記では、神はモーセの指揮の下、民をエジプトの奴隷から救い出された。
シナイ山で律法を与え、幕屋を中心とする礼拝の形を定められた。しかし、民は不従順により、40年間砂漠の中で放浪を経験する事になり、民を新しい地に導くという神の約束が成就するまで続いたのである。

ヨシュア記は、土地の征服とイスラエルの部族間での土地の分割を述べ、士師記は、国家としての生活のどん底状態、すなわち神への不従順、敵による侵略、救出のため神が士師を送られた事を記している。

預言者サムエルは、王制の始まりを告げている。イスラエルの初期の王はサウル、ダビデ、ソロモンがいる。ソロモンの黄金時代、エルサレムに神殿が建てられ、治世の終わりに王国は2つに分裂した。
10の部族による北のイスラエル王国、2つの部族によるエルサレムを首都とした南のユダ王国である。
北方では前9世紀にアッシリアが、前8世紀にバビロンの大国が誕生し、帝国を目指して両国は小国を併合して行った。
イスラエル・ユダの両王国も例外なく、それぞれ、アッシリア、バビロンの手に落ち、民は大国の捕囚となったのである。

神は度重なる不従順と、預言者を通してのメッセージに耳を傾けようとしない民に裁きをもたらされた。しかし、神は民を見捨てたのではない。絶望の捕囚状態の民に、再び神の元に立ち返るようにと預言者を送り続け、解放の希望を語らせたのである。

そして、預言は成就する。
ペルシャがバビロンを征服し、捕囚のユダヤ民族はエルサレムと神殿の再建、神礼拝の確立のため帰還する事を許された。
画して、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記をもって旧約聖書の物語は終わりを告げる。そして詩篇、箴言、コヘレトの言葉、大預言書、小預言書である。

旧約聖書は1500年もの長きに渡り、南はエジプトから東のペルシャ(イラン)に至る地中海東部を舞台に繰り広げられた壮大な神の物語なのである。
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【祈りについてQ&A】T


問1:私たちは誰に祈るのか?
<答>
・私たちをこの上なく愛してくださる神に祈ります。
・全知全能、唯一絶対の神に祈ります。
・偶像に祈ることはやめましょう。仏像、神像、御札、絵画、彫像、アクセサリー、数珠、自然…それらは神ではありません。聖人崇拝も然り。

問2:いつ祈るのか?
<答>
・朝に祈る習慣は、とても良いものです。目が覚めてすぐに「神様、感謝します」と祈り、一日のお守りを祈る時、その一日を過ちから守り、助けて下さいます。朝、聖書を読み、祈り、黙想する習慣はキリスト者の成長になります。
・食事の前にも祈りましょう。
・仕事や勉強を始める前。「神様、この仕事/勉強を誠実に心を込めて行うことができますように」と祈りましょう。
・決断・決心・判断をするとき。神様からの知恵と力を祈り求めましょう。
・眠る前。一日の恵を感謝し、悔い改めを祈りましょう。
・車の運転前。「安全運転できますように」と祈りましょう。
・手紙やハガキを投函する前、メールを送信する前。
・時間を決めて、集中して長く祈るのも良いことです。

問3:どんな姿勢で祈るのか?
<答>
・どんな姿勢でも構いませんが腰掛けるか座るかします。
・両手を組んで、目を閉じます。十字を切る必要はありません。

問4:どう祈るのか?
<答>
・リラックスして、心を神様に向けて祈りましょう。神様に向かって何でも話して良いのです。神様は私たちの事を全部ご存知です。
・神様をまず讃美しましょう。感謝、讃美は祈りに力を与えます。「感謝は要求に先立つ」と言われています。
心から信じて祈りましょう。全知全能の父なる神様を信頼して祈りましょう。
・正直に打ち明けましょう。神様は悔い改める心を喜ばれる方です。し、私たちの汚れを清めてくださる方です。「こんなにひどいことは神様にも言えない」というのではなく、むしろ「自分のこここそ、神様に清めていただきたい」という姿勢で祈りましょう。







【新生とは何か】


 私たちは母の胎から生まれ、肉体の命に生まれました。これは生物学的は誕生です。
しかし、人はもう一度、霊的に生まれなければなりません。誰でも二度生まれなければならないのです。
二度目の誕生日、それは私たちが新生を経験した日です。私たちは新しく生まれなければ、霊的な世界を見ることができません。
私たちは罪人としての性質(原罪)をもって生まれました。新しく生まれない限り、どんなに外見を繕っても、罪を自分の力や善行などでも贖うことはできません。
洗礼式の式文にこのような文章があります。

『私たち人間は罪の中に生まれ、肉に属するものでありますから、そのままでは神の御心にかなうことができません。思いや言葉や行いによって神に背いているのです。』

しかし、罪を悔い改めて、主イエス・キリストを自らの救い主として受け入れるならば、私たちは新生の恵みを受け、新しい霊的な誕生を経験することができるのです。
「だからキリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(Uコリント5章17節)
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で言い表して救われるのです」(ローマ10章9〜10)とある通りです。
新生はこのように、外面的なものではなく、内面的、霊的なものです。

私たちはすべての罪を許され、新しく創造された者となるのです。
そして、滅びから永遠の命に移されるのです。キリストはこのような確信を私たちに与えてくださるお方なのです。






【洗礼について】


礼典は霊的な恩恵を表すしるしであると供に、その霊的な恩恵の約束を確認する証印である。
礼典には2つの側面がある。
1.外的、感覚的しるし
2.それによって齎される内的、霊的恵み
さらに洗礼(バプテスマ)の儀式そのものに霊的恩恵が伴う。
新約時代のバプテスマは次の事と関係がある。

@罪の許し(使徒22:16)
A新しく生まれること(ヨハネ3:5)
Bキリストに接木されたこと(ガラテヤ3:27)ーこの統合は、イエスの死、葬り、復活との統合である。洗礼を通して、このイエスと繋がるのである。
C父なる神と新しい関係に入ったこと(ガラテヤ3:26以下)
D聖霊を与えられたこと(Tコリント12:13)
E教会に属するようになったこと(使徒2:41)
F救いを与えられたこと(マルコ16:16)

─を意味する。

このように洗礼とは、能動的に言うならば、イエス・キリストとの結合のしるしであり、証印であり、神の子となり、永遠の命が与えられることであり、受動的には、罪の許し、罪のきよめのしるしであり、証印となる。
バプテスマに用いられる水は、罪を取り除くキリストの血と、人間の性質に潜在する罪と破壊の支配に対する聖霊の聖化の影響とを表すものである。
従って水のバプテスマを受けることは、キリストの血により、またキリストの贖いにより、罪のきよめがなされ、キリストの死と復活のゆえに罪に死に新しい命に生きる事を象徴しているのである。






【苦しみの積極的な意味】


 神様は私たち人間が幸せになることを願っておられます。幸せは本来、人間が自分の意思で神様との交わりを永遠に楽しむことにありました。しかし、このような関係を罪が破壊してしまいました。
神は私たちとの関係を回復するために、イエス様を地上に送り、その十字架によるあがないで、再び私たちは神様との豊かな交わりを回復することができました。
神様との交わりを通し、ご自身に似たものとなってほしいと神は願っておられます。

 では、どのようにすれば、神様に似たものとなることが出来るでしょうか。
時に神様は苦難を通して、私達を鍛えることがあります。使徒パウロは、言っています。「(私たちは知っているのです)苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということ。希望は私たちを欺くことがありません」(ローマ5章3〜5節)
私たちは苦難がないと人生をあまり深く考えず、神様の前を素通りすることがあります。

ある意味、それはそれで幸せなようにも見えますが、本当の幸せは神様と出逢った人生を送ることです。
ある方は、「苦しみがあったからこそ、神様に出会うことが出来てよかった。もし悩みがなかったら、こんなに大きな恵に出会うことはなかった」と言われました。私たちが神を知り、成熟してゆくためには、神様は私たちを度々、苦難や困難を通して鍛えられることがありますが(ヘブライ12章)、神様の訓練に謙遜に従うとき、私たちは聖化の恵が与えられるのです



「祈り」 作者不明

大きなことを成し遂げるために
力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを賜った

偉大なことが出来るように健康を求めたのに
よりよき事をするようにと病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛をえようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず

心の中の言い表せない祈りは
すべて叶えられた
私は最も豊かに祝福されたのだ



(ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に掲げられた詩)



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